Monthly Archives: 2014年1月

東日本震災支援室 活動報告③

三日目の様子
 仙台市内にある「特定非営利活動法人 全国コミュニティライフサポートセンター」(以下CLC)の事務局へ向かいました。

CLCは、高齢者及び障害者、子どもなどが自立した生活を営むために必要な支援を実施する団体や、それらの団体のネットワーク組織を支援することにより、「だれもが地域で普通に」暮らし続けることのできる地域社会の実現を目指して、活動されており、グループもみじも以前からさまざまな面でお世話になっています。

震災の後、「東北関東大震災・共同支援ネットワーク」をCLC内で設置し、ボランティアの派遣や、支援物資の提供、生活復興に向けてともに支え合う活動や、過去の災害復興のノウハウを紹介することで各地での活動を促し、仮説住宅や自宅で生活する被災者が孤立することを防ぐとともに、住民主体の復興とまちづくりを支えることを目的とした活動など、精力的に展開されています。
 
詳しくは「特定非営利活動法人 全国コミュニティライフサポートセンター」HPをご覧ください。

当法人も、CLCの活動に賛同し、微力ながら関わらせて頂いております。そこで今回の宮城県訪問にあたり、長野の皆様からお預かりした支援金をお渡しさせて頂きました。

CLC事務局スタッフの方から、仙台地区での津波、地震の被害とその後についてのお話、また宮城県内での求人雇用と人口数について深刻な状況(特に福祉、介護職員の不足と、募集をしても全くといってもいいほど人が集まらない件)についてのお話、宮城県とお隣福島県での復興状況やそのスピードの差についてなどなど、お忙しい中、貴重なお話をしていただきました。

~同行スタッフの感想~
TVや新聞などの主要メディアが伝えている情報がいかに「ごくわずか」の人や景色、内容を写しているものだということ、そして一度は現地の状況を生で見て、肌で感じる必要があるということ。そして被災地ではまだまだ復興が進んでいないということ(特に被災された方々の心)そして僕たちの心の片隅にでも「被災地のことを忘れない」という思いを残しておくことが重要なのだと実感しました。(中沢)

実際に現地へ行き、被災された方を支援している方々のお話を聞き、心に残った言葉が「被災後も私たちは海と共にいきていきます。」「被災者と思われている限り、いつまでも被災者でいなくてはいけない」と話されていました。私たちが思っている以上に被災された方々は震災当時のつらい思いを忘れることなく、でも自分たちで自分たちの生活を取り戻そうとされていました。支援者が中心になるのではなく、被災者が中心になって地域の資源を活用し、一人ひとりの暮らしを様々なアプローチから支えることにより地域全体が支えられていて、私たちの介護という職種の地域ケアにつながると感じました。約2年半経った今でも、津波や放射能の影響で住み慣れた地域を離れ、自分たちの暮らしを取り戻そうとされている方々がいることを忘れないようにしないといけません。(井上)

今回、私どもの訪問に際し、お忙しい中、お話をお聞かせ下さり、ありがとうございました。
また、支援金にご協力いただきました皆さまにも、お礼申し上げます。

今後の支援活動についても、今回の訪問で感じた事を生かし、次につなげていきたいと思っております。

東日本震災支援室 活動報告②

二日目の様子
前日お世話になった菅野さんの案内により、菅野さんの所属する「社会福祉協議会 本吉支所」へリンゴを届けさせていただきました。
リンゴは、本吉支所管内の自宅へ戻って生活をしている方々へ配らせていただきますとの事でした。

次に宮城県の石巻市、開成仮設団地内にある「あがらいん」というグループホームに伺わせていただきました。

主な活動内容として、介護保険制度や医療保険などの枠にとらわれずに小さな子供からお年寄りまで障害などの有無に関係なく、どなたでも気軽に立ち寄り、利用ができるみんなの居場所を提供しています。(現状6名の泊り込み利用と、他に仮設などの自宅からご自分で通ってきている利用者数名)

基本的なコンセプトとして、あがらいんではつながりの場を提供することに重点を置き、さまざまな交流のきっかけを作って自立につながる活動をされています。
自立を促す=被災者から脱却する という意味であると教えていただきました。

活動例①
毎日朝6時半からのラジオ体操は、終了後の簡単な朝ごはんとセットで毎回行っており、アルコール依存症などにより不規則になりがちな食生活リズムを直す為にスタッフや近隣住民と共に行っている。朝ごはんは体操後におにぎり+味噌汁とのことで、あらかじめ決められた近所の人が作って持参されている。
活動例②
毎週木曜日の地域食堂は、利用者、近隣住民に関係なく一般にも広く開放された活動であり、料理を利用者と近隣の住民で作成して提供する仕組み。遠方から毎週のように通う常連さんもいらっしゃるとのこと。

尚、医療や福祉の面で人材不足により専門性のある活動ができないという点が当面の課題であるとお話をされていました。
(震災以降、福祉関連の業種への就職率が大幅に低下。人を募集しても応募する人が少なく、かわりに一般企業などへは求人があっても倍率が高いという盛況な様子である。)

三日目へ続く…。

東日本震災支援室 活動報告①

グループもみじでは、東日本大震災以後、震災で被害にあわれたの皆様の気持ちに少しでも寄り添いたいとの思いから、支援を続けてまいりました。
12月16日~18日二泊三日で、当法人代表の田中とスタッフ4名で、支援金と長野のりんごを携え、宮城県を訪れました。

一日目の様子をご報告いたします。

東北道の一関ICから一般道に降り、気仙沼市へ向かいます。山間部から徐々に街中(港)へと降りてくるが、東日本大震災での津波による建物や鉄道などへの被害は復旧がおおむね終わっているように感じました。
しかし、港(大島行きのフェリー乗り場)までやってくると所々に不自然な更地や、破損した建物が見られ、そしてなにより、フェリー乗り場自体に違和感を感じます。通常の一般的なフェリー乗り場だと、海面から30㎝から1メートル近く高い岸壁があり、コンクリート製の立派な港湾施設があると思われるのだが、ここだと(気仙沼のフェリー乗り場)、海面すれすれの高さで乗り場となっているのです。
ただ、フェリー乗り場を頑丈なものに作り直さないのは、現在大島までの架橋工事が進んでいるとのことで、そちらが完成後は使われなくなる為であると推測されます。

夜は気仙沼市の社会福祉協議会で働く菅野さんとお会いし、町の復興状況、そして現在不足しているという「心」のケアについてのお話をお聞きしました。

 *心のケアについて
 現在、大きく分けて仮設(プレハブ)に住んでいる方、復興住宅(新たに建設された、一般的な住居)や既存の賃貸物件に移り住まれた方、そしてもともとの自宅(持ち家)などで生活を続けられている方の3パターンがあります(現在も他の地域に避難中の方は含まれていない)。それぞれに抱えている問題点の中で目立ってきているのが「DV」「育児放棄」「虐待」「アルコール依存」「自殺、自傷行為」などであるということ。大きく起因しているのが被災時の「心の傷」や「生活に大きな不安があり、明るい将来像が見えない、想像できない」ということ。
お金や物では直接的に改善できず、時間と自分自身の精神力よる自立が重要ということもあり(被災者という名称から脱する)対象者の気持ちに寄り添い、必要とする関係機関への橋渡しをしていくことが私の主な仕事だと涙をにじませながらお話しして下さいました。

次回二日目につづく…。