寝たきり状態から生きる力を取りもどす

居介護支援宅事業所 青もみじからの事例報告
熱い思いが生きる力を再び取りもどす

松本市に住む鈴木ななさん(88)=仮名=は今年9月、寝たきり状態から自力でご飯を食べられるようになるまでに回復した。彼女の生きる力を呼び起こしたのは居宅介護支援宅事業所 青もみじのケアマネージャーである矢野咲子の「もう一度頑張って生きて!」の熱い思いである。
 鈴木さんは梨県出身。初婚で女(知的障がい)児を出産するが、夫の元に残し離婚。 その後再婚し、松本市にて二番目の夫と共に飲食店を経営する。 その夫との間に子供はいない。平成17年 二番目夫の死亡により、松本市営住宅に移り住む。 物忘れが進み、要支援2と認定。包括支援センターにて生活支援を行っていたが、鈴木さん自身で調理困難のため食事を摂れず、痩せ細る。近隣の住民の支援もあったが、生活に困窮しており、医師の診察も受けられない状況であった。鈴木さんと矢野が出会ったのは平成21年8月。すぐに内科、眼科、脳外科を受診支援。検査結果は多発性脳梗塞(ラクナ梗塞=脳内に「0」状の空洞ができる) 。処方箋開始し、  要介護1となる。
平成23年2月に要介護2。
5月には矢野がボランティアで鈴木さんの庭にて彼女と一緒に花壇を作り、好きな花を植える。毎朝、鈴木さんは花に水遣りを欠かさず、会話も増える。
6月、鈴木さん自宅にて転倒。矢野が発見し、病院へ搬送。リハビリのため8月に転院するが、重度の認知症のために指示通りにリハビリ、車椅子操作ができないので全介助となる。
9月には介護度4となる。食事が摂れず経鼻経管になり、下肢の拘縮。 問いかけに反応せず、眼も動かない状態となる。「生きているなら返事しろ、私が判るか」と矢野が一喝。「生きているなら口からご飯を食べろ、このままじゃ死んだも同じじゃないか!」
矢野はソーシャルワーカーに一日一食でよいので食べさせる努力をして貰えないか相談。
翌日、鈴木さんは昼食にミキサー状に食べやすくした食事を3分の1摂取した。
2日目、矢野が鈴木さんのもとを訪れると「私、頑張る」と言う言葉を耳にする。
3日目、鈴木さんが経管カテーテルに触り「これは何?」と尋ねるので、矢野は、「口からご飯を食べてくれないから仕方なく身体に必要な栄養を鼻から胃に入れているの。口から食べてくれればこんな物、外れるんだよ、頑張って朝、昼、夜と3回食べるんだよ。」と励ました。
4日目、鈴木さんのカテーテルが外れていたので矢野は頑張りを褒め、「食べさせて貰うのではなく、茶碗を持ち、自分で食べるんだよ。美味しいと感じないと脳は働かない、ベッドでなくホールに出て食べなさい。」と伝える。5日目、矢野が訪ねると、鈴木さんはベッドから車椅子に身体を起こして貰い、ホールにてテレビを見ている。食事が配膳されると自分で姿勢を直し、自力で食事を摂る姿勢に矢野は感動する。「美味しい?」と矢野が尋ねると、鈴木さんは「おいしいよ~。」と表情も明るい。会話もだんだんと増える。病院スタッフも鈴木さんの頑張りに感動し、「諦めないということを勉強させて貰いました。」とのこと。松本市より米寿のお祝いが届き、病室にて祝う。「こんなに長生きしたんだね」と鈴木さん。後見支援センターで後見人を探し、特養の入所も間近なので鈴木さんに矢野は山梨の実家に帰れない事情を話し、納得してもらう。鈴木さんは矢野が会いにきてくれるならばと入所を承知。今後は木曽の特別養護老人ホームに入所予定。 

 事例の中での矢野の口調は厳しいが、それは、鈴木さんとの信頼関係を築いているからこそ言える言葉である。矢野はこの事例を語りながら、始終笑顔を絶やさない。そこからは、仕事にたいする情熱や責任、誇りを感じる。矢野の信念は「私に関わることで認知症の本人も良くなり、家族も良くなり、みんなの絆を取りもどし、みんなを笑顔にする。そのためならなんでもする!」と熱く語っている。認知症のお年寄りは、家族や周りの人に行動している意味が解ってもらえず、怖い人、困った人と認識されがちだが、本人からすると、自分はまったく変わっていないのに、周りの対応が変わってきていると感じる。矢野は素のお年寄りに向き合い、心に近づきたいといつも思っている。そういう気持ちで接していると家族が変わり、家族のお年寄りに対する接し方が変わってくる。家族の気持ちをどんどん吐き出させて、あるポイントを掴んだときに信頼関係が築かれ、真髄に触れることができる。そうすることで、状況が改善していく。離れ離れに暮らしていた家族7人が一つ屋根の下で暮らせるようになった事例もある。「あなたに会えて良かった」と家族やお年寄りから言われるのが矢野の生き甲斐である。お互いの思いが届けば、介護は楽しいと締め括った。